作られたおいしさ、素材のおいしさ

最近の私は、素材そのもののおいしさに気がつきました。

子供のころや、若かったときには、手の込んだお菓子や料理にあこがれていて、それをおいしいと思ってよく食べていたんです。
ただ、よく考えてみると、それは「作られている美味しさ」ですよね。

たとえば、ケーキを例にあげてみます。
美味しい、と絶賛されているものもあれば、あまり美味しくない、と評価されているものもあるケーキ。
その中身を考えてみると、実際には使われているものはほとんど同じなんですよね。

卵、砂糖、小麦粉、バター。
基本的なスポンジは、ほぼこの材料だけでできているんですよね。
でも、作る人の技量によって、味に差が出る。
どんなに美味しいケーキを「本当に美味しい」と思っていても、結局は、糖質と炭水化物、脂肪のかたまりを食べているんですよね。

卵をあわ立てて、どれだけふっくらふわふわに仕上げても、栄養の偏った食べ物、ということに変わりはない、と最近は気づき始めました。

それを食べるんだったら、素材そのものの美味しさが感じられるものをもっと食べよう、と最近は自分の食の選び方の基準が変わりつつあります。

今まで、そんなに美味しいと思っていなかった食べ物のひとつに、「野菜」があります。
でも、それは、大量生産されている、あまり美味しくない野菜を食べているせいだったんです。

手をかけて育てられた野菜を食べる機会があって、それを口に入れたとたん、その美味しさに驚いたことがあったんです。

「こんなに甘くてみずみずしくて、味が濃い野菜があったんだ」と驚いて、この美味しさはどんなに美味しいお菓子にも勝っているな、と本当に思ったんです。

しかも、美味しいケーキと違って、それを食べることで健康にもつながる可能性がある、ということ。

本当に体によくて美味しい、野菜などを食べていたら、わざわざお菓子を食べなくても、満足できたんです。

普段の食事に満足できていないから、お菓子が食べたくなるんだな、とそのときに気づいたんです。

このことに気がついてよかったな、と最近では本当に思っていて、あのままお菓子を食べ続けていたら、もっと今では太ってしまって、取り返しがつかなかったかもしれません。

おいしいものの定義

まず、最初にどうしても言っておきたいことがあります。
それは、「人によっておいしいものの定義は違う」という事!

いくら、自分が「これは本当においしい!」と感じたものでも、ほかの人にとっては、耐えられない味のものもある、そう思うのです。

私が出会った、本当に困った人は、「自分がおいしいと感じたものは、人も絶対においしいと思うはずだ」と常に思っていて、それを無理やり食べさせようとする人です。
食べることを断ると、本当に不機嫌になります。
「せっかく用意してあげたのに」と。

それが、本当に自分が好きなものの事も、たまにはあるんですが、いくら好きなものでも、食べたくないタイミング、というものもあるんです。
本当に好きなものは、自分が食べたいタイミングで食べるのが、本当においしいと思うんですよね。

本当においしい、と思うものは、人それぞれ。
だから、ここで私がおいしいと思う食べ物をあげたとしても、それは私が感じたものなので、ほかの人はおいしい、と思わないかもしれません。

ですので、あくまでも「ひとつの意見」として、受け流してくださいね。